入試に関するお知らせ

平成25年度始業式が行われました。校長先生のお話をご紹介します。

2013年04月08日(月)

本日から25年度が始まります。学年が一つずつあがります。新たな気持ちで臨んで下さい。
今年度取り組んで欲しい点を二つ申し上げます。

一つは学ぶ楽しさを味わってほしいことです。すでに学ぶ楽しさに気付いている人はさらにより深いものを目指して下さい。
楽しさに触れていない方、これ意外と難しいことだと思います。
休み時間や放課後の部活動になると目が輝くけれど、授業中は目が死んでいるということありますよね。
何故でしょう。目が輝くときは楽しいことをしている時です。
でも部活動は、いつも楽しい訳ではなく、辛いときも、苦しいときもあります。
何故苦しさに耐えられるのか。自分から選んだからです。
やらされるのではなく、自らやっている場合は苦しくても乗り越えられるのです。
部活動の基本練習も余り楽しくないですね。
単調な動作の繰り返しである基本練習に何故耐えられるのか。上手になる為には必要だと自分に言い聞かせることで耐えているのです。
つまり目標があるからです。目標を持つことも大切です。
楽しさには二種類のものがあるようです。
テレビのお笑い番組は楽しいですが、その楽しさと部活動で基本練習をクリアーし技術がワンランク上になる楽しさとは異なります。
後者の楽しさの方がより高度な楽しさです。
昨年度の学校評価アンケートのなかの「学ぶことの楽しさを発見出来ましたか」という質問に、
当てはまると回答した生徒の割合は学年が上がるに従い、下降しました。
授業の内容、学ぶ内容が高度になるからです。
しかし下降した値が高三の所で再び上昇します。昨年度最も高い値は高三生の70.4%でした。
最も難度の高い授業を受けている高三生が何故、学ぶことが楽しかったのか。それは今申し上げた三つの条件を満たしているからです。
まず大学受験という目標があります。この目標を達成するには自ら取り組む必要があります。
そして、部活動の基本練習に当たる基礎の学力を高三になるまでにしっかりと身につけ、より高度な内容に向けて取り組んだ結果だと思います。
自分の目標に向かい真剣に取り組み、単調な基本学習を乗り越えて次のステップに行った時に学びの楽しさを味わう事が出来ることになるようです。
高度な楽しみである学びの楽しさを味わってみて下さい。

二つ目は心の豊かさを追求して欲しいと言う事です。
内閣府が、40年間毎年実施している国民生活に関する世論調査というものがあります。
その中に物の豊かさと心の豊かさのどちらに重きを置きますかという質問があります。
40年前は日本全体が貧しかったので、物の豊かさを望む人が多かったのですが、
生活に必要なものがおおむねそろった昭和50年代に逆転し、平成に入ると心の豊かさに重きを置くと考える人が50%を超えるようになりました。
昨年度は心が6割、物が3割となりました。
日本人が大切だと思っている心の豊かさとは何でしょうか。
キリスト教の聖書に「目には目を歯には歯をという事はあなた方の聞いているところである。
しかし私は言っておく、誰かがあなたの右の頬を打つなら左の頬を向けなさい。」という言葉があります。
「目には目を歯には歯を」は、やられたらやり返せの報復主義を表します。
兄弟げんかをすると分かりますね。一回ぶたれたらぶちかえします。中には倍返しと言って二回ぶつ人もいます。
その時喧嘩している二人の間は相手を憎む感情で覆われています。
右の頬を打たれても打ち返さず、反対の頬をだせば二人の間に憎しみの感情は徐々になくなって行きます。
神様は世の中から憎しみや争いをなくし、平和や愛に満ちた世の中を望まれているから、
あなた達もそうしなさいと聖書は語っているのだと思います。
これは何とか理解できますが、次に「敵を愛し、迫害する者の為に祈れ」とつづきます。
皆さん出来ますか、敵を愛し、自分をいじめる人の為に祈ることです。
ここまで行くとかなり難しいことですね。でもこれはキリスト教だけではありません。仏教でも同じようにといています。
お釈迦様の子供のラゴラ尊者が町を托鉢していた時に暴漢に襲われ怪我をしました。
ラゴラは普段お釈迦様の教えを学んでいますので、このような痛みは一瞬のものです。
むしろ暴漢の方が長く苦しむことになるでしょう。気の毒なのは彼の方ですと答えたそうです。
自分の身に降りかかった苦しみは耐え忍んで、
自分に辛く当る者こそ却って気の毒な者であると慈悲の心で思いやればどんな目にあってもうらみ心は起こらないし、
心はいつも穏やかである、と言っています。
この穏やかな心は究極の豊かな心ですね。ここまで到達することは我々凡人ではなかなか難しいことだと思います。
心の豊かさとは自分の事だけを考えるのではなく、自分の心を超えて周りの人にどれだけ配慮できるかと言う事になるのでしょうか。
あなたの豊かさはどんな豊かさですか。色々な豊かさがあってよいのです、考え続け、求め続けて欲しいと思います。