
2013年09月27日(金)
前期が終了しました。この半年で何か一つのことをやり終えたといえるものがあるでしょうか。
あると答えた方は後期さらに掘り下げるか、新しいことに挑戦してください。
ないという方、後期は挑戦できるものをさがして下さい。
9月6日に宮崎駿監督が引退会見をしました。
“未来少年コナン”、”トトロ”から“風立ちぬ”まで沢山の感動を子供だけでなく大人にも与えてくれました。
その記者会見の中で印象に残った言葉は、
「スタジオジブリを作った時は日本が浮かれていた時代。経済はにぎやかだが心の中はどうなんだ、という思いで作った」という言葉です。
現代に生きる子供も大人も失いかけているものが、宮崎さんが取り上げた心のぬくもりだったと思います。
中学高校の成長期にしっかりとした身体を作るには、毎日のバランスのとれた食事が必要です。
病気にならないためには栄養に気を遣わねばなりません。
健康な体と同じように健康な心を作るには同じように栄養が必要だと思いますが、皆さんは毎日心に栄養をやっていますか。
もし放っておいても心が育つようでしたら、
この世の中に悪いことをする人間はいないし、いじめもいじわるもない天国のような社会になるはずです。
そうなっていないのは、心は栄養をやって育てていかないと豊かにならないのだと私は思います。
キリスト教の聖書に「心の清い人は幸いである」という言葉があります。
何故心が清い人が幸いなのか?心が清いので澄み渡っています。
心が汚れていないから、
美しいものが美しいとわかる、正しいものを正しいと判断できる、不正なことを不正として憎むことができるからです。
心が汚れていると正しいものを正しいと判断できなくなります。
他人に害を与えても心が痛まなくなります。
心が汚れていると周りが見えなくなります。
その結果、自分だけ良ければよいと自己中心的に物事を考えるようになるのです。
では心に栄養を与え豊かな心にするにはどうしたらよいでしょうか。
色々な答えがあると思いますが、一つのヒントは「美しさ」を追い求めることだと思います。
美しい自然に触れる、美しい音楽を聴く、美しい絵を見た時に心が感動します。その感動が心の栄養になるのです。
普段の学園生活の中にも美の要素はたくさんあります。
ダンス部・体操部・新体操部など、美しさそのものを追求している部もありますが、
その他の運動部でも磨かれた技や動きは美しいものです。文化部にも美の追求が見られます。
華道とは、ただ花を生けることではないと思います。
花を生けることを通して美しさを発見する目を養い、美を理解する心を持った気高い人になることが最終目的だと思います。
作家の小桧山博さんという方のエッセイが中二の道徳のテキストに載っています。
夕方の札幌の地下鉄の駅のホームで電車を待っている長い列ができていました。
先頭から5番目位に80歳くらいに見えるお年寄りの女性が両手に大きな紙袋を持って並んでいました。
筆者は荷物を持ってあげようかと思いましたが言い出せませんでした。
ホームに電車がついた時、
お年寄りのすぐ後ろにいた二人の女学生の一人が素早く人々の間をすり抜け一つだけあいている席に座りました。
なんて行儀の悪い女の子だろうと腹を立てた時、
保護棒につかまっていたお年寄りにもう一人の女学生が「席ありますから」といって紙袋を二つ持ち、
お年寄りを抱きかかえるようにして席のほうに案内し、席に座ってもらいました。
お年寄りがお礼を言っているのに女学生は顔を真っ赤にして逃げるようにして筆者のいる連結器のほうへ来ました。
肩で息をしている彼女たちの顔には汗がきらきらと輝いていました。
筆者は彼女たちに向かって何か言いそうになるのをやっとこらえました。
とても言葉くらいでは少女たちの中にある美しさは讃えることなどできないと思ったからです。
作者は別のエッセイで、こう書いています。
ある調査によると乗り物でお年寄りやおなかに赤ちゃんのいる女性に席を譲る人の割合は、
アメリカ人51%、イギリス人63%、日本人19%なのだ。
なんという日本人のこの醜さと民度の低さ、
自分さえよければ他人などどうでもよい、金や地位だけを勝ちとする心の貧しさだと。
さて作者は何故少女たちの行為を美しいと表現したのでしょうか?
少女たちより上の年齢の方の行為だったとしたら、思いやり溢れる光景とか心温まる光景と表現すると思います。
何故美しいのか?私はこれが青春の美しさだと思います。
皆さん全員が備えている美しさだと思います。
青春は美しくも醜くもなるのです。青春は青い春とかきます。
青という字は未熟,熟していない状態を表します。
青い柿は熟していないので渋くて食べられません。
赤い柿が熟したおいしい柿です。未熟な物は美しさにも欠けます。
熟したものが美しいのです。しかしその未熟さが美しく輝く時があります。
それは己の未熟さを自覚し、高いものを目指し懸命に努力する姿に人は美しさを感じるのです。
この少女たちの中にあった美しさと同じものを皆さんも持っています。それが青春の美しさです。
逆にこの少女がおとしよりに席を譲らず自分が座ったら、この少女の行為はとても醜い行為になるのです。
心が豊かに成長するように毎日心に栄養をあげて下さい。
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