
2013年10月01日(火)
おはようございます。本日から後期が始まります。
10月は文化祭、競技会と様々な行事が予定されていますし、下旬には試験もあります。行事、部活動と勉強の両立を図ってください。
本日の話は5年前の後期始業式に取り上げたテーマと同じです。
今の高三の方が中一の時ですから、覚えている方がいるかもしれません。
ブエノスアイレスで開かれたオリンピック委員会総会で2020年夏季五輪の開催都市が東京に決定しました。
重要な最終プレゼンテーションのトップバッターが佐藤真海さんでした。
この佐藤真海さんのことを5年前の今日、取り上げていました。
5年前は北京オリンピック・パラリンピックが開催された年です。
佐藤真海さんがパラリンピック女子走り幅跳び代表になるまでの手記、「夢を飛ぶ」を紹介しました。
真海さんは、早稲田大学で応援部チアリーダーズに属し楽しい大学生活を送っていました。
19歳の時足首に痛みを感じ、病院で検査をすると骨肉腫という骨の癌であることが分かり、癌センターに緊急入院しました。
先ず抗がん剤の治療です。抗がん剤の治療の辛さは想像をはるかに超えています。
抗がん剤は身体の中の癌細胞をたたくだけでなく、健康な細胞も容赦なく攻撃します。
薬が回ると猛烈な吐き気に襲われます。
食べ物の臭いをかいだだけでも、食べ物の写真を見ただけでも、全身を吐き気が襲います。
髪を洗うと髪の毛が手に巻き付いて束になって抜けていきます。
この様な治療を乗り越えても病気が治るわけではありません。
抗がん剤の治療が終わるということは手術が近づくことを意味します。
手術とは足を切断することです。
これだけ辛い治療をしているのにどうして足を切らねばならないのか先生に尋ねると、
足を切らないでこのままにしていたら一年半しか生きられないとの答えでした。
それでも足を切ることは納得できなかったので、
失礼かと思いましたが、もし先生のお子さんが私と同じ状況になったら、それでも切断しますか?と質問しました。
先生は、もちろん私の子供だったとしても切る。命のほうが大切だからとおっしゃいました。
手術が終わったある日、シャワーを浴びてふと鏡に目がとまりました。
右足の膝から下がない姿が映っていました。
あふれてきた涙はいつまでも止まりませんでした。
苦しみはそれだけではありません。すでにないはずの足に鋭い痛みが走るのです。
幻肢痛です。切断した足を脳が記憶しているので、そこに痛みを感じるのです。
そのうえ抗がん剤にも苦しめられる毎日でした。毎日ベッドの上で涙を流していました。
夢も希望もない、何のために生きているのかも分からなくなっていきました。
一年後退院し、大学生活に復帰します。
入院中あれほど楽しみにしていた大学復帰でしたが、
周囲の友人たちの元気な姿を見れば見るほど気持ちは沈み、友人たちに会うのも避けるようになります。
何もする気力もなくなり、もう生きていく意味も感じられず、家で一人で泣いてばかりいました。
そんな時インターネットで障害者スポーツセンターのサイトが目にとまり、
障害者の方とスポーツを楽しむようになります。
やがて高校時代やっていた陸上にスポーツ義足をつけて取り組みました。
足を失って希望をなくしていた真海さんに夢を与えてくれたのは走ることでした。
いつかパラリンピックに出場したいという思いが障害を乗り越える力になりました。
同じ病院に入院している人たちの中で現在も闘病生活を続けている人たちもいます。
生きたくても生きられなかった人たちも大勢いました。
この人たちはいつまでも真海さんの心の中で生き続けています。
そんな仲間たちが真海さんのパラリンピック出場を後押ししてくれたのです。
義足で走ると接触部分に傷ができ化膿してはれ上がります。
着地する時痛みが走ります。
それでも飛び続けたのはお母さんが言っていた、「神様はその人に乗り越えられない試練を与えない」という言葉でした。
真海さんは本気に生きようとしたから、アテネ・北京・ロンドンのパラリンピックに出場できたのです。
その真海さんが再度スポーツの力を実感したのが、2011年の東日本大震災の時です。
出身地である宮城県気仙沼市を津波が襲いました。
多くの子供が大切な家族を失いました。
その子供たちを励ますために、
真海さんと一緒に200人を超えるアスリートたちが日本から世界から被災地を千回以上訪れ、
子供たちと一緒になってスポーツ活動をし、子供たちを勇気づけました。
真海さん自身は子供たちの立ち上がろうとする姿に勇気をもらいロンドンパラリンピックに出場したそうです。
真海さんのパラリンピック挑戦と東日本大震災の時の復興支援活動を通してのスポーツのもつ力の素晴らしさを
プレゼンテーションで英語で訴えたのでした。
その後、真海さんが新聞にプレゼンテーターとしての経験を語っています。
その中で私が一番印象に残った言葉は、
「失ったもの、自分にないものを嘆くのではなく、持っているものをいかに高めていくかだ。」という言葉でした。
皆さん、自分にないものを嘆くのではなく、皆さんが持っているものを高めて行って下さい。
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