入試に関するお知らせ

12月20日(土)授業納めの式がありました。校長先生のお話の全文をご紹介します。

2014年12月20日(土)

2014年も残りわずかになりました。この一年、誰でも嬉しかったこと悲しかったこと様々な事があったことと思います。
しかし、年の瀬を本当に辛い思いで迎えていらっしゃる方がいることを我々は忘れてはいけないのです。

横田早紀江さんという方を知っていますね。
お子さんのめぐみさんを北朝鮮に拉致された方ですが、こう語っていらっしゃいます。

「2014年もめぐみは帰ってくることができませんでした。もう体力的にしんどいのです。
ことしで私は76歳、主人は80歳になりますから」お二人には残された時間はもう少ないのです。
拉致をめぐる状況はほとんど進展していないのに、時間だけが残酷に経過していきます。

政府の拉致問題対策本部が、解決の為に出来ることを挙げています。
政府が一体となって取り組むこと、国際的な関心を起こすことですが、
あなたにもできることがありますと呼びかけています。
それは拉致問題に関心を持ってもらうこと、
拉致という問題があり、いまだに解決していないことを知ってもらうことです。
お話ししましょう。

今から37年前、13歳の横田めぐみという中一の女の子が、バドミントン部の練習を終えて、友達3人と下校しました。
家の近くの交差点で二人と別れ、日本海が前方に見える暗くてさみしい道をまっすぐ進んで、
曲がり角を曲がればすぐに家があるというところで煙のように消えてしまったのです。
新潟県警始まって以来の大捜査が展開されます。
3000人の警察官が浜辺から山をくまなく探します。
巡視船やヘリコプターも捜査に加わり、ダイバーが海に潜ります。
それでも見つかりません。
お母さんは半狂乱で、どこに行ったのだろうと泣きながら海岸を走ったり、
棒を持ってラケットはないか鞄はないかとあたりを探しまわりました。
なぜ娘がいなくなったのか。本当に苦しまれたそうです。
あの子に対して何か悪いことをしたのだろうか、親として至らなかったのではないかと自分を責められたそうです。
何度も死にたいと思われたそうです。

それから20年後の平成9年、めぐみさんが北朝鮮で生きているという情報が入ります。

平成14年、当時の小泉首相が北朝鮮を訪問し、金正日総書記は拉致を認めました。
やがて5人の日本人が帰国しますが、めぐみさんは死亡したということで、遺骨を送ってきました。
この遺骨は鑑定の結果めぐみさんのものではないことが分かりました。
めぐみさんをはじめ拉致被害者はかけがえのない人生を奪われました。
その家族は激しい悲しみの中で今も大切な人の帰りを待っているのです。

早紀江さんの著書「愛はあきらめない」の中に中学生対象の講演会の話があります。

皆さんは「北朝鮮は変な国だよねって」軽く言っていますけれど、この国は毎日毎日が生きるか死ぬかの選択なのです。
指導者の言うことはどんな命令であっても従わなければなりません。
はいと言えば命が長らえられる。反対すれば死に至ることもあるのです。
日本では考えられないかもしれませんが向こうでは200万、300万人の人が飢えてその辺でよこたわっている状態です。
非人道的で、何の罪もない日本人をさらっていった北朝鮮という国に対して、早紀江さんはさらにこう続けられています。
何とか北朝鮮が平和な国になって欲しい、非人道的な指導をしないで欲しい。
国民が食べられるようになって欲しいと願っていますと。偉い方ですね。
娘を拉致した国が良くなることを願うことは、簡単に出来ることではありません。
聖書に、「目には目を歯には歯をとあなたたちは聞いている。
しかし私は言っておく。悪人に手向かうな。誰かが右の頬を打つなら反対の頬を出しなさい。
敵を愛し自分を迫害する者の為に祈れ」いう言葉があります。
反対の頬を出すことまでは、理解できますが、敵を愛し、迫害する者の為に祈ることはできません。
その難しいことを早紀江さんは実践されていらっしゃいます。
憎い敵を許し、何とか家族が元気でいる間に日本の地を踏ませてあげたいと、それだけを願っています。
あとはなにも望んでいません。
「良く帰ってきたね。」「良く我慢したね。」と言ってあげさえすれば、
私の命はいつ取られてもかまいませんと書いていらっしゃいます。
皆さん早紀江さんの言葉忘れないでください。もうひとつ話します。

ドイツから短期留学をされていたAさんが本日で留学が終了となります。
Aさんは、毎日日本語で日記を書いていらっしゃいました。偉いですね。
日に日に成長の跡が見てとれます。
皆さんも英語で毎日日記を書き続けたらきっと英語が上達すると思います。挑戦してみて下さい。

私もその日記を読ませてもらいました。Aさんの了解を得ましたので、印象に残った所をご紹介します。

まずAさんが日本で驚いたことは、9月16日の地震と10月14日の台風です。
ドイツには地震も台風もないそうです。
日本は環太平洋造山帯という、太平洋を輪のように取り巻くまさに山が造られているところにありますから、
地震も火山活動も盛んです。ドイツは安定陸塊という安定したプレートの上にありますから、地震はありません。
またAさんの住んでいるベルリンは北緯52度、
北海道より北に位置していますから、熱帯性低気圧である台風の影響は受けません。

次に食べものの話です。Aさんは抹茶のかき氷が好きだそうです。
そしてお昼に友達からもらった梅干し、初めて食べたそうですがおいしかったということです。
和食がお気に入りのようです。

楽しかった行事は、文化祭や球技大会です。
授業で面白かった、楽しかったのは、ハンドボールのテスト、生物の時間、豚の腎臓を解剖したときだそうです。
日記を読んでいて周りの友達も含め日本が好きになって下さったように私には感じられました。
元気でご活躍されることをお祈りします。最後にAさんを含め皆さん良い年を迎えて下さい。