
2015年01月08日(木)
27年が始まりました。皆さんにとって良い年でありますように、高三生にとっては特に嬉しい春になりますように祈ります。
全校生徒が一同に会する式は今回が最後ですので、9月以降のホームルームノートに記載してあるメッセージをお伝えします。
9月1日の夏休み明けの授業始めの時に、休み中毎日学校へ来て勉強をしていた高三生がいたという話をしました。中一の生徒が、毎日高三生が登校していたという話を伺ってすごいなと思いました。私も先輩を見習って色々な事を頑張りたいです、と書いてくれました、中三の生徒は、毎日学校へ勉強する為に通っていたことに驚きました。私だったら行くのをやめてしまうと思います。高三生はさすがだと思いました、とありました。中学生にとっては、大学受験は先のことです。実感としてとらえることは難しいと思います。だが毎日暑い中、学校に来ていた偉大な高三生がいたということはしっかりと記憶されたことは確かです。一年下の高二生のとらえ方は異なっています。自分が高三生になった時にこのくらい本気で受験と向き合うことが出来るのか不安になった。今の私はまだ高二だからという言い訳を利用して勉強から逃げているとはっきり自覚することができました。別の高二生は、毎日学校に来て勉強したという話にびっくりした。勉強をやり続けるというのはとても根気と集中力のいることです。来年そんな受験生になれるかとても不安になりました。
私は心配していません。高二生の感想は、このままではいけないと自分を叱咤しています。後輩は先輩の後ろ姿を見て育つのです。先輩を乗り越えようと努力するのです。先輩は一年長く在籍していたから偉いのではありません。自分の属する集団が大切にしている精神を、より高めそれを後輩に伝えようと努力するから偉いのです。
前期終業式での、きれいさと美しさの違いの話についての高三生の感想です。美しさの話は心に響きました。受験を控えているため、どうしても頭の中が受験一色になってしまい、日々の挨拶や言動が高一・高二時よりも崩れてしまっているように思います。美しさというのは意識しているからこそ維持できるのだと思います。美しさが崩れてしまうのは簡単なのに崩れてしまったものを直すのはとても難しい事だと思います。勉強ばかりで、頭でっかちな人間にならないように、常日頃から意識して内面的な美しさを身につけてそれを維持できるように努力していきたいです。この方は私たちに大切なことを教えてくれています。美しさは意識するから維持できるという言葉です。全てのことは意識することで達成できるのです。夏休み中、高三生が毎日学校で勉強できたのも高い意識があったからです。
もう一人の高三生の感想です。現代では内面的な美しさや、私たち日本人が持つ美意識が失われつつあると思います。しかしそんな美しさが北鎌には残っていると思います。この北鎌で学んだ美しさを大切にしていきたいです。北鎌倉の美しさに憧れて入学したというコメントもありました。高一の生徒は、中学生の時に北鎌倉女子学園に来て、先輩方の姿を見て美しいと思ったので受験した。高二生は、小学生の時に北鎌の説明会に訪れた時に、先輩方の品性あふれたその姿に憧れここに入学しました。
高三生の体験談も載っていました。外部の方から身だしなみが美しいと声を掛けられてからさらに意識するようになりました、というものや、大学のオープンキャンパスに行った時に北鎌生は礼儀作法がしっかりしているねと言われました。それは卒業生の先輩方が今まで北鎌生として美しい立ち居振る舞いをしてきて下さったからだと思います、というものです。
部活でもお誉めの言葉をいただいています。演劇部が出場した湘南地区演劇コンクールの講評の中で、審査員の方が真面目で清潔感のある上演は学校の伝統なのでしょうか?とても好感が持てました、とおっしゃいました。真面目で清潔感まさに北鎌倉の美しい校風だと思います。大切にしましょう。美しさときれいさに関する感想最後にもう一つ紹介しましょう。
校長先生の「美しさ」についてのお話を聴いて、私は私が最も尊敬する文豪谷崎潤一郎について思いました。谷崎潤一郎の小説はいつでも「美しさ」を求めています。代表制で例えるのなら「刺青」は恐ろしいほどの数の針による激痛に耐えてこそ刻まれた入れ墨が「美しく」輝くのだといいます。他にも、私に強い影響を与えた文豪のユリウス・カエサルは、世界三大美女のクレオパトラに恋をしましたが、彼はクレオパトラの「綺麗」な容姿ではなく、クレオパトラとの会話の時間に「美しさ」を感じたとのことです。二人の文豪と校長先生のいう「美しさ」はそれぞれ違いますが、内面のことであることは共通しています。
素晴らしいでしょう、高二生のコメントでした。
最後に勉強と学びの違いについてです。中学のスピーチ大会でこの問題を取り上げた方がいます。中二生が、皆さん勉強と学びはどうちがうと思いますか?皆さんは勉強が好きですか?と先ず呼びかけました。この方は、勉強は好きではないが、学ぶことは好きだそうです。勉強は強制されてやるもの、学びとは自主的に取り組むもの。どちらも自分の知識として身に付くという意味では同じなので、いやいややるよりも興味を持った事柄について楽しんで学んでいくようにしたいというスピーチでした。
この同じ問題を高三生も取り上げています。勉強は強いられて勉めるもの、学びは自ら取り組むものという意味があるがそれだけではないようだ。学びから逃走する子供たちという本によると、勉強が他の人とも出会わず、対話しないで行われる営みに対して、学びは他者の感情と出会いそして自分自身と対話する営みであると述べている。これを知った時、私はとても胸が熱くなった。大学受験と重なるからだ。受験勉強は苦しいこともあるけれど、周りには同じ気持ちの仲間や、親身になって私の夢を応援してくれる先生がいらっしゃり、受験は決して孤独な戦いではないと気が付きました。
対話する営みの素晴らしさを高一の生徒がこう表現しています。スタデーサポートが返された時、分らなかった問題は勉強合宿の時のように仲間と相談して解決してみようと先生がおっしゃいました。合宿の時とても難しい問題が出題され、一人では全く歯が立たなかったが、友達と一緒に答えにたどりつくことが出来ました。その時本当に嬉しかった。そして勉強がこんなに楽しいものだと生まれて初めて感じました、ということです。中学生から高校生まで学びの意義あるいは楽しさに気付いてくれました。これも北鎌の文化です。大切にしましょう。